1979年度ー2005年度

1979
1979/10

橋口美佐子(現・取締役会長)が安田火災海上保険株式会社研修生入社

佐賀県武雄市で生まれた橋口美佐子は、結婚を機に佐世保市に移住。安田生命の外交員として保険業界入り。程なくして当時安田火災の代理店をしていた高瀬氏(現・株式会社ほけん屋サン会長)から損保業界への転職を勧められ、研修生として入社した。

1981
1981/01

橋口美佐子がプライアントの母体となる橋口損害保険を創業

安田火災研修生として全国トップの成績で卒業し、損害保険商品のみを扱う橋口損害保険を創業した橋口美佐子は、現在の損保ジャパン佐世保支社(佐世保市光月町)に机を置き、保険会社社員と同じ空間で代理店業をスタートした。自宅(佐世保市星和台町)には創業当時から安田火災の看板を設置。自宅には事務机などはなく、自宅で仕事をする際は居間や座敷で仕事をしていた。

1998
1998/09

橋口保険事務所へ社名変更し佐世保市日野町に事務所設立

本格的に生命保険の取扱いを開始したことで社名を変更。また保険会社内に代理店席がなくなったことによりしばらく自宅を事務所としていたが、当時の安田火災社長が代理店全国表彰式で「自分の事務所を持とう」というメッセージを素直に実践し、借地に300万円かけて事務所を建築。生命保険の取扱いを始めたきっかけも、代理店全国表彰式での安田火災社長が橋口個人に直接伝えた「騙されたと思ってこれからは生保をやってごらんなさい」といメッセージだった。

2000
2000/04

永田香織(現常務取締役・保険事業部長)入社

永田香織は公立中学・私立高校の音楽教師を続けながら2019年度末までダブルワークでプライアントに従事。2020年度より学校を退職し、プライアントに専心することとなった。

2002
2002/02

法人化し、有限会社橋口保険事務所へ社名変更

2002年2月22日に法人設立。この当時の保険代理店は個人事業主の方が多く、地域の中での法人化は先駆けであった。