プライアントの歩み

先人たちの汗と涙があったからこそ
今の私たちの喜びがあり
今の私たちは、未来のプライアントのために礎を築く先人

1979ー2005
【創造】保険屋繁盛期

1964年の東京オリンピックの直後からモータリゼーションが進んでいった。道路特定財源制度等を使った高速道路の拡張や鋪装道路の増加等の道路整備、一般大衆にも購入可能な価格の大衆車の出現、1973年に起きたオイルショック後の自動車燃料となる石油低価格化などによって、自動車が利用しやすい環境になったことが大きな原因だ。また1986年から1991年まで日本はバブル景気に踊り、日本経済は最高潮。それに伴い損害保険業界も大きな恩恵を受けていた。もちろんその中でも熾烈な競争もあったのは事実で、今と同じように競争に敗れ保険業界を去る保険代理店も数多くあった。その競争を知恵と努力で勝ち残った保険代理店にとっては時代の繁盛期にあった。また、企業組織で保険代理業を営む者はごく少数で、保険代理店のほとんどは法人化もしない個人事業主の保険代理店が数多く存在した時代だった。

従来の日本の金融業界に対する行政手法は「護送船団方式」とも言われ、保険業界についても保険商品にあまり差はあまりなかった。それが1996年に改正された保険業法によって、大きく〝自由化〟に舵が切らる。金融自由化をきっかけに業界は少しずつ様変わりし、保険代理店も法人化やそれまで保険会社の支社に席があった環境から、自前で事務所を持たなければならない「独り立ち」を求められるようになった。

 

2006-2009
【変化】個から個の束の代理店へ

2000年に入ると全国的に個人代理店の合併が盛んになり、長崎県でも2004年頃から代理店間で合併の話が盛んに交わされるようになる。弊社の創業者である橋口美佐子は当時全国表彰の常連で既にいち早く法人化、自宅ではない事務所の設立、損害保険と生命保険の併売、事務職員の雇用は始めており、佐世保エリアでは合併する側の代理店として合併交渉のテーブルに乗り、結果3代理店を合併することとなった。しかし、当時の保険代理店の合併は、合併前の現状維持を求める合併が多く、次世代に向けて合併した代理店は多くなかった。よって、個人代理店から数人からなる零細企業代理店となったものの、営業スタイルも標準化されておらず、代理店の実態は個人代理店の束であった。もちろんすぐに社風も築けず、「会社」と言えば保険会社のことを指し、自社は「会社」の代理店と、帰属意識も低かった。表現を変えれば、まだ「保険会社の一員」という強い連帯感が残っていた時代だった。

しかしそれでは次世代で生き残れる代理店にはなれないことは明らかだった。よって当社は「会社なり」になろうと様々な施策を講じた。そこで会社が変化していく大きなきっかけとなったのが、2009年に作成した「経営計画書(現・経営指針書)」だった。経営計画を策定することで会社の目指すべき姿、あるべき姿を成文化・可視化させ、それに向かって帆を進める環境を少しずつ作っていった。

 

2010-2013
【社風】保険屋から保険代理業を営む中小企業へ

2010年には初めて経営計画発表会を開催。当時の来賓は保険会社関係者のみだったが、経営指針書を策定し、会社の目標、および個人の目標を来賓の前で宣言し、来賓の方々には当社、そして社員のファンとなっていただいてその後の1年間の成長を応援していただく舞台を創り上げた。経営指針書の策定と経営計画発表会の開催を重ねるにつれ、薄皮を重ねるように社風が醸成されていった。つまり、これまで個の束でしかなく、それぞれ別々の方向を向いていた個のベクトルが、次第に経営指針書に定める一つの方向に揃っていく実感を少しづつ感じていた。当社にとっては企業化へ向けての下積みの時代である。

また、次世代でも地域とお客様に指示されるためには〇〇屋ではなく、○○業を営む中小企業へと成長しなければならないと気づいたのもこの時期であった。将来は保険がコア事業でなくなってしまう時代がくるかもしれない。その可能性がある中、現状維持が楽だからというネガティブな理由で保険屋を続けるのは大きなリスクを孕んでいる。それよりも事業体が変わっても今の社員(仲間)と共に社会の公器として地域とお客様に指示される企業こそが企業のあるべき姿だと確信するようになった。また、隣接異業種や社内ベンチャーをするにも保険屋では創造力が生まれない。多様性ある雇用をしようとしても、保険屋であれば多様性を受け入れられる大らかさは生まれない。当社は保険屋から保険代理業をコア事業とする中小企業へと成長していった。

 

2014-2016
【発展】社風づくりの下積みを経て、企業発展第1ステージへ

2013年に中国大連に保険事業で進出。2015年にはそれまで個人事業で経営していたHAPPY TRAILS COFFEEを買収し、保険事業部の他にHTC事業部、国際事業部、そして総務部を配するようになった。小企業ながら、保険代理業をコア事業とする中小企業へと着実に成長していった。特に総務部は全国の同規模の保険代理店の中では非常に珍しかった。旧態依然の保険代理店であれば、いわゆる事務員さんが保険代理業のバックオフィス業務と総務庶務を兼務するのが一般的だ。しかしコア事業である保険事業部の社員には専門職として保険に専心してもらうため、総務部を独立させた。また、当社の事業部運営において、総務部は保険代理業、飲食業、海外事業の中軸となっている。

2017-2019
【挑戦】企業発展第2ステージ「個の時代・個の成長・個の集合体」

2020-2022
【実践】企業発展第3ステージ「個が企業を牽引する時代へ」